人生初ブロク – 武藤です。
私の実家は愛知県 常滑焼で有名な知多半島です。
あのトイレ・ユニットバスのINAX(LIXIL)本社が近くにあります。
先日、実家に帰った時、新聞に「ピザ窯」の文字・・・
よく読んでみると、わが家にあるパン窯の製造元-窯元の山本さんの記事でした。
記事の内容は、色々な珍しい焼物をバイタリティー豊かに手掛けていた
故 山本氏のピザ窯を、介護施設を運営する友人が譲り受け、
お年寄りのためにピザや魚を焼いて、楽しませている・・・という内容。
実はこの窯・・・なんと その生みの親(発想の親?)となったのが、
私の父です。
父と一緒に「窯とは何ぞや??」から調べ始めました。
そのころ、あまりネットも普及しておらず、図書館で文献を探したり、
庭に自分たちで作れる窯、ということで二人で延々と議論を繰り返していました。
試行錯誤の結果、そのポイントとなったのが、「本体となる素焼きのドーム」 でした。
トンネルのようなドームを 素焼きで作り、その上にタイルを貼る
それを 土台となる耐熱レンガの上に置くという構想。
一応、大きなパンも繰り返して焼けます。 この設計を私の姉の同級生だった山本さんに相談し
ドームの形状や大きさなど 研究を重ねてできあがったのが
≪実家にあるパン窯1号≫ 次に≪わが家のパン窯2号≫ さらに≪姉の職場にパン窯3号≫
当時 山本さんに話をもち掛けた時、「おもしろい!!自分もパンが好きだから・・・」
といってすぐに試作品を作り始めて、まさに「思ったことをすぐに実行」の人でした。
とはいえ、初めての試みで何回も割れてしまったり 形が崩れたり、
失敗の連続だったそうです。
パンのおいしさは外はカリっと、中はフワッと♪
でも、もちろんセンサーもないし、温度管理は炭のくべ方、あおぎ方・・・なので
最初の頃は 男性の靴底のような、まっくろ草履パンもあったりして。
庫内を250℃まで上げるのは、約2時間。
夜遅く、工事用電気で焼いたこともありました。
今や書店に「ピザ窯の作り方」なんて DIYの雑誌が出るほど・・・
とは言え、まだ庭に窯がある、というスローライフ好きのお宅は少ないようです。
わが家の窯ができて、何年か後、山本さんの訃報を知りました。
悔しくも この新聞が発行されて、3日後に
私の父も旅立ちました。
なんでも作っちゃお!って感覚は、父の遺志として
私の中にいつも流れています。
パン好きな父の法事は「春のパン祭り」の予定。
つくる喜び・・・お客様と味わえる この仕事に
毎日感謝しております。
さて これで、Co Blogは無事一巡終了。
4人のカラーが出たかしら?
次は トップバッター フミコさん!! です。